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うずまき座「空気の観察」
今朝のパン。
成形した時にほしぶどうがあまったのでふいにのせてみたらおっぱいおばけみたいになったので、
これはすごいおっぱいが焼けるぞ、とワクワクする。
 


2次発酵も順調だったのでつやっつやにしてやろうと牛乳を塗ってやる。



焼けてみるとずいぶんこう・・・左右が離れたおっぱいみたいになって、ちょっと残念。
どうも、元気でやってます。



先日久しぶりに舞台を観ました。
もう3年も経つのか、金のさかなでお世話になった海峡演劇祭。うずまき座「空気の観察」。
九大アートラボでお話を聞かせてもらった大澤さんと、ダンサーの手塚夏子さんのご夫婦のユニット。
それぞれのお名前は以前から知っていたのだけど、手塚さんのダンスは残念ながら拝見したことが無く・・・
そしたらまさか2人で演劇をやる、というのでこれは観に行かねばと直前にお世話になっているお姉様にねじこんでもらった。

なんて素直な、そしてお二人の戸惑いとか、この時代の中でどう向き合って行くかとか、諦めない姿勢というか・・・すごく面白かった。フォーラムシアター、と言っていいんじゃないだろうか。終演後「お客様と対話することも考えていた」って仰っていた。突然振られたらどぎまぎしちゃうけど、今となってはちょっと話してみたかった。
お芝居を見ながら、たくさんのキーワードが頭をよぎったけど、一番大きかったのはSNSについてだった。
いつの時代もなんらか問題は抱えて来たとは思うけど、最近、正直、辟易する、というかこの問題は解決する日が来るんだろうか、
と思うような問題がたくさんある。そして、SNSが広がって以来、その問題についてたくさんの人たちがあらゆる種類の議論を、とても簡単に繰り広げられるようになった。対立する意見。場所によってはただの罵り合い。つむじ風みたいにまき上がっては消えるデマ。そして「さっきのあれ、デマみたいよ!」投稿。あわててその投稿を削除する人。情報に簡単に振り回されてタイムライン上をあーれーと飛び去って行く友人を見ながら、なんだか私はいつの間にか、口を閉ざすようになった気がする。
そもそもさほどSNSが充分に信頼できるメディアだとも思っていない、ただのオモチャだと思っているので、あまりそこに時間を割きたくないというのが第一の理由。重要なことはあって話すかメールや電話でよろしく、と思っていたのだけど、なんだか最近は、
もうSNSで人と深い対話はできないな、とつくづく。最近じゃないな。もう随分前からだ。もちろん良い塩梅で繋がれる、繋がりのヒントになる、プラスの側面はたくさんあるのだけど。
真意が騒音にかき消される。

SNS上では口を閉ざしていても、そんなのその人という人間のほんの、ほんの一部分に過ぎない。
私には意見がある。意見、って言うのはおこがましいくらいちっぽけな・・・思っていることくらいはある。こうなって欲しい未来もある。そしてそんな未来について人と深く話を、対話をする場面というのは、本当に少ない。
芝居の稽古中はもう嫌って言う程その作品と向き合って、共演者と吐き気がする程話合って、というのが普通なのだけど、
そんなにも深く、人と対話することを迫られる状況って、日常生活の中ではあまり無い。
だからみんな議論が上手にできないんじゃないだろうか。自戒の意味を込めて。私も議論は大の苦手だ。
あと、演劇やってる人がみんな議論が上手なわけでもない。なので、さあみなさんフォーラムシアターしましょう、というわけでもない。でも議論とか、とことん考えることに対するスタミナとか、慣れは多少あるかもしれない。
日頃から、もう少し言葉にするくせを付けたいし、諦めない体力を、そしてなにより、認めることと、答えを焦らないこと。
・・・意外といっぱいあるな。

今回のオチで手塚さんがウクレレを持ち出してくれた時にはホッとした。
大澤さんがカホンを持ち出した時にはもっとホッとした。
答えは出ない、まだ出ない。いつかは出さなければいけないけど。
だけど、このお芝居を観た人と、その議論の時間を共有して、家に持ち帰って、家族とも話したり、こうしてブログに書いたり。
草の根運動なみに受けとめる人数は少ないかもしれないけど、SNS上で顔の見えない言葉を浪費するより、よっぽど濃密で、人間らしいと思う。

深い時間を持てました。
 
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