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流産の記録3 手術まで
2015.04.17 Friday
自然に出て来るのを待つか、手術か、と言われた時、なんとなく手術は嫌だなと思って、自然に出て来るのを待とうと思っていたのだが、診察室を出た途端、あまりにも自分が流産についての知識を何も持ち合わせていなかったので、急に不安になった。
自然に出てきた場合はプチ出産です、と先生が言っていた。
陣痛ほどじゃないけど結構痛いし、出血もかなりあります。
かなりって・・・どのくらい?自宅で自分で対処するの?あまり痛かったら病院に来ていいの?
思わず助産師さんをもう一度呼び戻してもらって色々質問をしてしまった。
なにかあったらいつでも連絡していいですから、と優しい答えに少し安堵して、帰途についた。
しばらくは何もできずぼーっとしていたのだが、少しずつ、どうにかしないとな、と重い腰を上げて、
自分の身に何が起きているのか、これからどうなるのかをネットで記事を読みあさった。
そして、調べてみて初めて、こんなに流産を体験した人が多いことを知った。
そして、その全てがケースバイケース。人それぞれで様子が違う。出産体験記を読んでいるのと同じ感じだった。
読み進めるうちに、自然流産のメリット、デメリット、掻爬手術のメリット、デメリットがわかってきた。
自然流産の場合、子宮に傷をつけることなく、我が子を出してあげることができる。でも、人によるけどかなりの痛みと出血が伴う場合が多い。また、全て出し切れない場合はその後手術の可能性もある。
掻爬手術の場合、麻酔を使うので痛みは無いが読んで字の如く掻き出す手術なので、妊娠で柔らかくなった子宮を少なからず傷つけるらしい。手術内容は中絶手術と同じ。ただ、仕事をしている人なんかはいつ大量出血するかわからない自然流産よりは、手術を選ぶ人が多いみたいだ。
まあ他にも色々あるが、仕事のことは確かに気になった。
ちょうど2週間後にお店でイベントを予定していて、その日に穴をあけるわけにはいかなかった。
想くんの面倒をひとりでみている時にもし大量出血するのも怖いし、万が一イベント中に大量出血したらイベントを中止するわけにもいかないし・・・と、やっぱり手術しようと決めた。
なんだかずっと夢をみている感じで現実感はまるでなかった。
水子供養って6週とかでもできるんだろうか、なんて調べたりしていた。
紹介状を持って、近所の大きな病院にかかった。
問診、内診を経て、やはり稽留流産で週数は6、7週程度です。とのこと。
なんだか他にも色々話したのだが、その中でなにか質問は?と問われて、ネットで調べて気になっていたこと聞いた。
手術でかき出したもの(私の場合はまだ胎児ではなく胎嚢)は、引き取れるのかどうか。
答えはあっさり、ノーだった。
やっぱり。手術を決めてからそれだけが気がかりだった。ネットみる限りでも引き取りについて書いている人はほぼおらず、
私にとってはそこが一番重要だったのでなかなか心が晴れなかった。
そして先生が継いだ言葉に思わず絶句した。
「残念ですが、かき出す段階で粉々になってしまうし、出したものは医療ごみとして処分しなければいけないんです。」
その場はああそうですか、とだけ答えたけど、内心、駄目だ。ナシナシ。手術は止めよう。自然に出て来るのを待とう。
そして手術の予約をいつにしますかと問われて、2週間もあれば出てきてくれるだろうと安易に考えて、3/9にした。
粉々という言葉を聞いた時に自分のどこかが粉々になるような、顔面を殴られたような衝撃を感じた。
診察室を出てからわなわな震えが止まらなかった。
医療ごみ?ごみじゃねーよ。死んでてもただの空っぽの袋でも私の大事な子どもですから。
事実だけを書き連ねておこうとは思うけど、ここだけは、この点だけはどうしても捨てておけない。
22週未満の胎児は死亡届も必要ないし、火葬許可、というのも出ない。
もちろん、12週までの初期流産と22週未満までの後期流産とでは母体にかかる肉体的、精神的負担には大きな違いがあるのは理解出来る。でも、一度でも命が宿ったら、大事な子どもには変わりないのに、自分の子どもの姿も見られないまま『ごみ』として捨てられるのは耐えられなかった。死亡届や火葬までできなくても良いから、せめて引き取って、私たちなりに埋葬してあげたかった。
そうでなければどうやって前に進めばいいのか。みんなどうしてるんだろう。
その翌日、出血が始まった。
さあ、来たぞ、と陣痛が始まった時みたいに気を引き締めていた。いつでも出て来い、母ちゃんが受けとめてやるっ!と息巻いていた。
トイレだとそのまま流れて便器の奥に行ってしまうと手が届かないとネットで読んだので、
大量出血したら風呂場に行こうとか、とにかく夜用のナプキンを大量に買い込んで準備したりしていた。
が、だらだらした出血は一向に増える気配もなく、時間だけが過ぎて行った。
そのうちひいていた風邪をどんどんこじらせて、咳で夜も眠れなくなっていった。
あんまり体調が悪いと大量出血が始まった時にしんどくなるのではないかと思い、かかりつけの呼吸器科にかかったら、
急性気管支炎からの喘息発作と診断された。発作用の吸入薬を使うと幾分楽になった。
1週間経っても出血量は増えず、むしろ減ってきていた。少し不安な気持ちが増して来た。このままでは手術になってしまう。
出て来い、出て来い。このままだとごみとして捨てられちゃうよ。ちゃんと受けとめてあげるから、安心して出ておいで。
毎日おなかを撫でながら話しかけていた。
体調不良を理由に手術を延期しようかとまで考えた。しかも喘息持ちを理由に手術が局所麻酔になるかもしれないと、受診した時にちらりと言われたのも今更ながら不安でしかたなかった。意識がある状態で、自分の子どもがかき出される音を聞くなんて、とてもじゃないけど耐えられない。
なんとか理由をつけて延期できないか色々思案したが、手術の為に義両親にわざわざ来てもらったり、実両親にも色々手配したり、
もう既に私たちだけの問題ではなくなっていた。病院も含め各方面に迷惑がかかるだろうな。
諦めきれない気持ち、周囲への申し訳なさ、手術への不安・・・さんざん悩んでぐるぐる考えて、眠れない日が続いて、
ああもうこの子には会えない運命だったんだろうな、と。手術の日が迫るごとに諦め、というか悲しみ、というか・・・いろんな感情の入り混じった複雑な気持ちでただ、時間が過ぎて行くのを茫然と眺めていた。
稽留流産は自覚症状がない。体調も風邪でしんどいだけで、出血しても腹痛も腰痛も私の場合はそんなに無かった。
風邪さえひいていなければなんの問題もないので、いつまででもお腹の中に入れておきたい気持ちはやまやまなのだけど、
そんなわけにはいかないのだろうか?と真剣に考えてしまった。
自覚症状がない分、現実を受け入れるのが難しかった。
手術の前日になってもかかりつけの産婦人科医が「ドッキリでーす!」って出てきやしないかと思う程。
いや、出てきたら訴えるけど。
自分の体に起こっていることではないような、不思議な感じだった。
ついに手術前日には出血は殆ど止まってしまっていた。
JUGEMテーマ:子育て日記
自然に出てきた場合はプチ出産です、と先生が言っていた。
陣痛ほどじゃないけど結構痛いし、出血もかなりあります。
かなりって・・・どのくらい?自宅で自分で対処するの?あまり痛かったら病院に来ていいの?
思わず助産師さんをもう一度呼び戻してもらって色々質問をしてしまった。
なにかあったらいつでも連絡していいですから、と優しい答えに少し安堵して、帰途についた。
しばらくは何もできずぼーっとしていたのだが、少しずつ、どうにかしないとな、と重い腰を上げて、
自分の身に何が起きているのか、これからどうなるのかをネットで記事を読みあさった。
そして、調べてみて初めて、こんなに流産を体験した人が多いことを知った。
そして、その全てがケースバイケース。人それぞれで様子が違う。出産体験記を読んでいるのと同じ感じだった。
読み進めるうちに、自然流産のメリット、デメリット、掻爬手術のメリット、デメリットがわかってきた。
自然流産の場合、子宮に傷をつけることなく、我が子を出してあげることができる。でも、人によるけどかなりの痛みと出血が伴う場合が多い。また、全て出し切れない場合はその後手術の可能性もある。
掻爬手術の場合、麻酔を使うので痛みは無いが読んで字の如く掻き出す手術なので、妊娠で柔らかくなった子宮を少なからず傷つけるらしい。手術内容は中絶手術と同じ。ただ、仕事をしている人なんかはいつ大量出血するかわからない自然流産よりは、手術を選ぶ人が多いみたいだ。
まあ他にも色々あるが、仕事のことは確かに気になった。
ちょうど2週間後にお店でイベントを予定していて、その日に穴をあけるわけにはいかなかった。
想くんの面倒をひとりでみている時にもし大量出血するのも怖いし、万が一イベント中に大量出血したらイベントを中止するわけにもいかないし・・・と、やっぱり手術しようと決めた。
なんだかずっと夢をみている感じで現実感はまるでなかった。
水子供養って6週とかでもできるんだろうか、なんて調べたりしていた。
紹介状を持って、近所の大きな病院にかかった。
問診、内診を経て、やはり稽留流産で週数は6、7週程度です。とのこと。
なんだか他にも色々話したのだが、その中でなにか質問は?と問われて、ネットで調べて気になっていたこと聞いた。
手術でかき出したもの(私の場合はまだ胎児ではなく胎嚢)は、引き取れるのかどうか。
答えはあっさり、ノーだった。
やっぱり。手術を決めてからそれだけが気がかりだった。ネットみる限りでも引き取りについて書いている人はほぼおらず、
私にとってはそこが一番重要だったのでなかなか心が晴れなかった。
そして先生が継いだ言葉に思わず絶句した。
「残念ですが、かき出す段階で粉々になってしまうし、出したものは医療ごみとして処分しなければいけないんです。」
その場はああそうですか、とだけ答えたけど、内心、駄目だ。ナシナシ。手術は止めよう。自然に出て来るのを待とう。
そして手術の予約をいつにしますかと問われて、2週間もあれば出てきてくれるだろうと安易に考えて、3/9にした。
粉々という言葉を聞いた時に自分のどこかが粉々になるような、顔面を殴られたような衝撃を感じた。
診察室を出てからわなわな震えが止まらなかった。
医療ごみ?ごみじゃねーよ。死んでてもただの空っぽの袋でも私の大事な子どもですから。
事実だけを書き連ねておこうとは思うけど、ここだけは、この点だけはどうしても捨てておけない。
22週未満の胎児は死亡届も必要ないし、火葬許可、というのも出ない。
もちろん、12週までの初期流産と22週未満までの後期流産とでは母体にかかる肉体的、精神的負担には大きな違いがあるのは理解出来る。でも、一度でも命が宿ったら、大事な子どもには変わりないのに、自分の子どもの姿も見られないまま『ごみ』として捨てられるのは耐えられなかった。死亡届や火葬までできなくても良いから、せめて引き取って、私たちなりに埋葬してあげたかった。
そうでなければどうやって前に進めばいいのか。みんなどうしてるんだろう。
その翌日、出血が始まった。
さあ、来たぞ、と陣痛が始まった時みたいに気を引き締めていた。いつでも出て来い、母ちゃんが受けとめてやるっ!と息巻いていた。
トイレだとそのまま流れて便器の奥に行ってしまうと手が届かないとネットで読んだので、
大量出血したら風呂場に行こうとか、とにかく夜用のナプキンを大量に買い込んで準備したりしていた。
が、だらだらした出血は一向に増える気配もなく、時間だけが過ぎて行った。
そのうちひいていた風邪をどんどんこじらせて、咳で夜も眠れなくなっていった。
あんまり体調が悪いと大量出血が始まった時にしんどくなるのではないかと思い、かかりつけの呼吸器科にかかったら、
急性気管支炎からの喘息発作と診断された。発作用の吸入薬を使うと幾分楽になった。
1週間経っても出血量は増えず、むしろ減ってきていた。少し不安な気持ちが増して来た。このままでは手術になってしまう。
出て来い、出て来い。このままだとごみとして捨てられちゃうよ。ちゃんと受けとめてあげるから、安心して出ておいで。
毎日おなかを撫でながら話しかけていた。
体調不良を理由に手術を延期しようかとまで考えた。しかも喘息持ちを理由に手術が局所麻酔になるかもしれないと、受診した時にちらりと言われたのも今更ながら不安でしかたなかった。意識がある状態で、自分の子どもがかき出される音を聞くなんて、とてもじゃないけど耐えられない。
なんとか理由をつけて延期できないか色々思案したが、手術の為に義両親にわざわざ来てもらったり、実両親にも色々手配したり、
もう既に私たちだけの問題ではなくなっていた。病院も含め各方面に迷惑がかかるだろうな。
諦めきれない気持ち、周囲への申し訳なさ、手術への不安・・・さんざん悩んでぐるぐる考えて、眠れない日が続いて、
ああもうこの子には会えない運命だったんだろうな、と。手術の日が迫るごとに諦め、というか悲しみ、というか・・・いろんな感情の入り混じった複雑な気持ちでただ、時間が過ぎて行くのを茫然と眺めていた。
稽留流産は自覚症状がない。体調も風邪でしんどいだけで、出血しても腹痛も腰痛も私の場合はそんなに無かった。
風邪さえひいていなければなんの問題もないので、いつまででもお腹の中に入れておきたい気持ちはやまやまなのだけど、
そんなわけにはいかないのだろうか?と真剣に考えてしまった。
自覚症状がない分、現実を受け入れるのが難しかった。
手術の前日になってもかかりつけの産婦人科医が「ドッキリでーす!」って出てきやしないかと思う程。
いや、出てきたら訴えるけど。
自分の体に起こっていることではないような、不思議な感じだった。
ついに手術前日には出血は殆ど止まってしまっていた。
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