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なかむら産家医院
今回の出産を語る上で欠かせないのがなかむら産家医院

当初私は、自宅から近くて、検診からお産まで面倒をみてくれる病院、という条件だけで病院を探していました。
その中で口コミが著しく良いのが、なかむら産家(なかむらさんち、と皆さん呼んでます。)でした。
他の病院と比較してもどうにも桁違いの口コミだったので、ならば、と思い、訪れてみました。

その日に助産師さんに病院案内をしていただき、天井から白い紐がぶら下がる畳の部屋を披露され、
「うちはフリースタイルですから。」
とさらっと言われて度肝を抜かれました。



時代劇でもなかなか見ないこの白い紐・・・フリーすぎるやろ!
と思わずツっ込みそうになりましたが、初対面なのでぐっと我慢して色々聞いてみると、
分娩台を使わずに、赤ちゃんが呼び起こす自然な陣痛の波に乗って、自分の一番楽な姿勢で出産するのだと。
・・・こちとら初産なので、分娩台の辛さも、どの姿勢が一番楽なのかもわからないので、
とにかく安全に、無事に生まれてくれれば良いのですが・・・と、始めは思っていたものでした。

院長先生もいつも作務衣を着ていて、病院らしくない印象。
当時アメリカ旅行の予定が入っていたり、2ヶ月間東京に滞在して舞台出演の予定が入っていたりして、
「だ、大丈夫なんでしょうか?」と詰め寄る圭くんに
「大丈夫ですよ〜。テニスの試合に出る人とか、もっと週数行ってから旅に出る人もいますよ〜。」
とおっとり返したり。のらりくらり冗談ばかり言っている印象の、優しい先生。
体重管理だの、あれしちゃダメこれしちゃダメ的なことは殆ど言われない、ざーっくりした検診の日々は、
私にとって心安らかな日々でした。つわりだの腰痛だの耳が聞こえないだの、トラブルは比較的多い方だった
とは思うのですが、もちろん対処は的確なものでした。

あと、助産師さんがとにかく多い、そして優秀。
他の病院を知らないので比較のしようがないですが、検診の時やお産の時に担当してくださった助産師さんはじめ、
入院中もとにかく看護が手厚い。陣痛中もずっと付きっきりでマッサージをしてくれて、
異変がないか見守り続けてくれたことは本当に心強かったです。
あと、妊婦の味方、トコちゃんベルトも取り扱ってるので試着ができたりします。

出産後は生まれた瞬間から母子同室なので、お産時間が長かった私は一週間ほとんど眠れず、
正直ちょっとしんどかったですが、サポートはかなりしっかりしてくれます。

そして



「まごわやさしい」ほとんどベジな食事がとにかくウマい。
素材がなんだかわからないくらい、味が複雑で、ヘルシー。和食の底力を感じます。



どうやら、医者がいる診療所という規模で、フリースタイル出産ができるのは福岡県内ではここだけらしく、
県内外からお産を希望して来られる方がいらっしゃるみたいです。(助産院はあるらしいです。)
口コミや病院に置いてある過去の産婦さんからのメッセージを見ると、あまりに良いことばかりが書いてあって、
「ホントかよ〜」と思っていましたが、本当に良いお産をさせていただきました。
そして異口同音、みんなが言うのと同じことを言っちゃいますが、
2人目ができたらまたここで産みたいです。
北九州で出産される方には心からお勧めしたい病院です。


JUGEMテーマ:子育て日記
19:16 子育て comments(0)
奇跡の日
ご報告です。
一生忘れられない、大切な日がまたひとつ増えたことを心から嬉しく思います。
自分の忘備の為の記録でもあるので、ちょっと長文ですが。

11月6日午前3時45分、無事に長男を出産することができました。
33時間の難産でしたが、母子ともに健康で、現在は私の実家で養生しています。



出産予定日10日前に、もういつ生まれてもおかしくないから最後に、と撮った写真。
でも、予定日を大幅に過ぎても、出てくる気配はありませんでした。
42週を超える前に薬を使ってでも出産しなければならず。
ただ、その薬が喘息患者には使いづらいとのことで、先生もぎりぎりまで様子を見て、
なるべく自然な陣痛での出産を待ってくれました。
ちなみに。私がかかっていた病院は自然なお産ができる産院としてとても評判の病院で。
私はたまたま近所だし、くらいの気持ちで通い始めたのですが、本当に良い病院でした。
2人目をもし授かることができたら絶対またここで生みたいと思うような、素晴らしい体験でした。
この病院のことはまた後日、ご紹介します。

「なんで出て来ないんだろうね〜。
まあ42週までは時間がありますから。あかちゃんがなんだか出て来られない事情があるんでしょうね〜。」
いつも呑気に冗談を言って和ませてくれる先生の表情がなんとなく気になる感じで、
初産の私は正直、ちょっと不安を感じながらも、兆候が現れるのを待ち続けました。

結局、当初薬を使う為に入院する予定だった4日の朝から不規則な陣痛が始まり、
一日苦しんだその日の夜、ようやく規則的な陣痛に変わりました。
日付変わって5日深夜の3時に、5分間隔になったので、圭くんに病院へ連れて行ってもらってそのままお産の部屋へ。
分娩台はなく、畳の部屋で、冗談じゃなく、時代劇みたいに天井から白い太い紐が下がっているような、お産の部屋。
薄暗い灯りの中で、助産師さんが陣痛の度に腰をマッサージしてくれました。
でも、ここからが、長い戦いの始まりでした。
5分間隔の陣痛はきっと4分、3分と短くなって行き、遅くても5日の日中には生まれるだろう、
と勝手に思っていたのだけど、なかなか陣痛は強くもならず、間隔も短くはならず。
むしろ夜明けとともに不規則になってきました。強さも、強くなったかと思えば、弱くなったり。
私と圭くんの体力も、どんどん消耗していった、苦しい一日でした。

助産師さんのシフトも変わって、3人目の助産師さんが来てしばらく経った5日の夜。
「子宮口!開いてるね!どう見たって全開だよー!今日中に生まれるかねえー。」
ようやくなんだか明るい兆しが見えた気がして、さあここからもうひとがんばり、と思っていたら。
そこからもまた長かった。
陣痛の強さも間隔も変わらず。もうそこまで頭が見えているのに全く進まない。
いきむ度に助産師さんがであかちゃんの心音を探して、モニターで聞かせてくれて
「大丈夫、大丈夫、あかちゃん元気だよ〜」と教えてくれるその声が必死で。
もう何回圭くんの手を握りしめながら、その心配そうな目をのぞき込んだんだろう、
とか考え始めると朦朧として、陣痛の合間に気を失うようにして眠ってしまったり。

そんな状態が数時間続いて、6日の午前3時を過ぎた頃、突然先生が登場。
その時の表情は数時間前までの柔和な笑顔ではなくて、厳しい表情で、白いゴム手袋なんかつけて、
モニターを見て、何かをごにょごにょ助産師さんと話して・・・な、何が始まるんだ?
これまで畳の上の布団で横を向いて分娩していたのに、突然仰向けになれと。
自分の足を自分で押さえろと。
何がなんだかわからず、助産師さんもこれまでと雰囲気が一変して、
いつの間にか助産師長まで登場して・・・
その後のことはこれまでの長い苦しみを思うとほんの一瞬、15分くらいの出来事だったけど、
正直、怖かった。パニックになった。
ただひとつはっきり覚えているのは、パニックになった私が叫んだ「早く出して!」
それに対して先生がバシッと一言。
「自分で出す!」と。
いつもへらへら冗談を言っていた先生とは別人の、医者がそこに居たことにびっくりした(失礼)。
赤ちゃんが出たい、生きたい、と言っている陣痛というサインを受けて、
私ががんばらないと、前にも後にも進まない。パニくってる場合ではないんだった。
と、至極当然なことに気づいて、すごく冷静になれた。
ここにいる医者と助産師さんたちと、圭くんと、一緒に生もうと。

「3時45分。」
助産師さんが時間を告げてくれた時にはまだ泣き声が聞こえなくて、
何かの機械で鼻や口の中を吸い出してしばらくして、遠くで鳴く子猫みたいな弱々しい、
でも、この世で一番美しい音で泣いてくれたその瞬間のことは、本当に、本当に、忘れ難い。



後々担当してくれた助産師さんから聞いた話では、子宮口が開いているのになかなか陣痛が強くならなかった段階で
羊水がだいぶ濁り始めていて、先生も度々様子は伺っていたと。
取り上げた時には羊水の色は緑色にまで変色してたけど、赤ちゃんの口の中含めて体中に付着した
胎便などはすべて取り除いて、感染症などの恐れもないし、臍帯の血液の検査をしても特に問題はなかった、と。
今となってはなぜなかなか陣痛が強くなって行けなかったのか確かめる術はないけど、
へその緒を何らかの形で圧迫していたか、ひっかかっていたか。。。
いずれにしろ促進剤をつかっていたら赤ちゃんが苦しがっていたのではないか、とのこと。
そう考えると吸引もせず、数カ所会陰切開しただけで無事に生まれてくれて、本当に良かった。
最後はちょっと怖かったけど、信頼出来る病院で、手厚く面倒をみてもらえて、本当に良かった。
33時間も片時も側を離れず、ずっと一緒にいてくれるような人と結婚出来て、本当に良かった。
そして人生初の、息子の一大イベントを家族3人で乗り越えることが出来て、本当に良かった。



ずっと舞台に関わってきて、圭くんと501FURNITUREを始めて、
想像することや、人のことを想う気持ちが世界を突き動かしているなあ、と常々思ってきました。
そんな発想から、息子の名前を「想(そう)」と名付けました。
想像力豊かな、想いやりのある人になってくれれば。あと、とにかく健康でいてくれれば、他に何もいらない。

ちなみに、義父から言われてハッと気づきましたが。
想くんの漢字をよく見てみると「木目」の「心」・・・家具職人の息子にぴったりの名前でした。
たまたま、偶然なのが私たちらしいところですが・・・良い名前だなあ、なんて。

 
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