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到着したらこんなサインを持って待っててくれた。
2009年当時ほぼ毎日一緒に居たつよい姉さんこと美術家、林由未さんとペトル。
あれから2人も結婚し、私も結婚し、姉さんは院を卒業し、私は福岡で501を始め・・・気がついたら2年もの時を超えてまたこうして一緒に芝居が作れることは、とても感慨深いものです。
懐かしい場所や、おいしい食事や、素敵なイベントは、後回しです。
稽古初日を記念して。
私の後ろのイケメンについては・・・彼については後ほどくわーしく書くことになるでしょう。。。新たな出逢いが待っていました。
とある地下室を稽古場として使わせてもらうことに。以前『Yodaka』を作ったときは、ゆみさんの家を借りたり、大学の教室や稽古場なんかを使わせてもらったのだけど、今回はもっと集中できるように、とこの場所を用意してくれました。ほんとに、ありがたい話。
ほんとにありがたい、といいながらも。ネズミのフンかと思っていた無数のつぶつぶがダンゴムシの死骸だとわかったときには正直、一瞬、気が遠くなった。でもすぐに、ああそう、そうそう、この感じ。と、なんだか懐かしく、そして気が引き締まる感じがした。
なんでも自分で切り開くのだ。
って、この状況だってかなりゆみしとペトルのご尽力あってのことだし。
私なんて、掃除しているだけだし。
でも、日本での恵まれた環境はこういう積み重ねの上に成り立っていることを
忘れちゃいかんな、と。
いわば私が今までやってきたことは、このダンゴムシ達に支えられていたのだよ。
もとをただしすぎ、やもしれませんが。
と思いながら箒を握る手に力を込めたのでした。
チェコのダンゴムシはしっぽがとんがっているなあ。