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言語の獲得


この距離で「しーまーちゃん!め!」とわけもなく絶叫されることにももう随分慣れてはいますが、嫌は嫌らしいです。

久々に私が発熱したので昨晩は泥のように寝たらあっという間に平熱。まだまだ捨てたもんじゃないです。
が、まだ本調子ではないので家族が色々優しくしてくれます。
想くんは「たーたん(母ちゃん)、水、ぼぶ(飲む)?」とペットボトルを差し出してくれます。
そうなのです。最近の想くんはよく喋るので、子育ても格段に面白い域に突入してきました。
言葉って一度獲得してしまうとなかなか失われるものでもないので、今のこの面白さ、豊かさは一瞬なんだろうなぁと思うと、
一日一日が貴重です。いつか「うるせえ!ばばあ!」とか言われるようになったらこの頃の写真や動画を見て咽び泣こうと思っています。

なので最近、言語の獲得について思いを馳せます。
例えば。
よく英語の会話で「you know...」という言葉が多用されているのを耳にします。
you knowって挟むとなんか英語喋れるっぽい、と感じる日本人な私です。
辞書見ると色々書いてますが、「えっと」とか「あの」とか「あのね」とか、言葉を探す時に使うことが多い言葉ですね。
チェコ語を勉強していた時もなんかあった気がします。レベル低すぎて例を出すのも恥ずかしいくらいですが・・・。
日本語でも「えっと」「あの」はもちろん言葉と言葉の間に無意識に近いレベルであまり意味のないことばを挟んで、
リズムを整えたり、会話のクッションにしたりすることは大事なことだと思います。
それって会話する能力を獲得していく上で、とても重要な過程だと思うのです。
そして想くんも最近、そのレベルに到達したらしく、言葉と言葉の間に「you know...」的な彼なりの言葉を挟んできました。
その言葉が
「たーとぅーり(カタツムリ)」

今年の梅雨の時期にたーとぅーり(カタツムリ)という夢のような生き物に初めて出逢い、
グーチョキパーでたーとぅーり(カタツムリ)を何百回も作り、歌い、
おじいちゃんちからたーとぅーりー(カタツムリ)をもらい、育て、仮死状態にまで追い込んだ挙げ句、門司の小川に放流し(放流したのは親。しかも放流寸前に仮死状態から蘇るホラー付き)。
おじいちゃんからオリジナルたーとぅーりー(カタツムリ)Tシャツまでもらい。。。

そんな想くんにとって、たーとぅーりー(カタツムリ)が、「えっと」や「あの」レベルで体に染み付いていて、無意識に口をついて出てしまうなんて・・・なんかもう、言語の獲得って奥深い!人類の進化の歴史や!と感動するとともに、
なぜ!なぜ「たーとぅーりー(カタツムリ)」!と突っ込みたい衝動が抑えきれない。他にも色々あるだろうに。。。

探していた赤い玉を見つけて「あ!ちて(見て)!たーとぅーりー、あか、あった!」
自作のピタゴラ装置を解説しながら「ここからぁ〜こうしてぇ〜、たーとぅーりー、ここで、こうする!こうする!ずごいー!おっぎぃ〜(特に大きくはない)!」

あと、たーとぅーりーの類義語として「おったい(オッパイ)」ていうのもある。
それならなんとなく頷けるんだが。。。

JUGEMテーマ:子育て日記
16:56 子育て comments(0)
流産の記録3 手術まで
自然に出て来るのを待つか、手術か、と言われた時、なんとなく手術は嫌だなと思って、自然に出て来るのを待とうと思っていたのだが、診察室を出た途端、あまりにも自分が流産についての知識を何も持ち合わせていなかったので、急に不安になった。
自然に出てきた場合はプチ出産です、と先生が言っていた。
陣痛ほどじゃないけど結構痛いし、出血もかなりあります。
かなりって・・・どのくらい?自宅で自分で対処するの?あまり痛かったら病院に来ていいの?
思わず助産師さんをもう一度呼び戻してもらって色々質問をしてしまった。
なにかあったらいつでも連絡していいですから、と優しい答えに少し安堵して、帰途についた。

しばらくは何もできずぼーっとしていたのだが、少しずつ、どうにかしないとな、と重い腰を上げて、
自分の身に何が起きているのか、これからどうなるのかをネットで記事を読みあさった。
そして、調べてみて初めて、こんなに流産を体験した人が多いことを知った。
そして、その全てがケースバイケース。人それぞれで様子が違う。出産体験記を読んでいるのと同じ感じだった。
読み進めるうちに、自然流産のメリット、デメリット、掻爬手術のメリット、デメリットがわかってきた。
自然流産の場合、子宮に傷をつけることなく、我が子を出してあげることができる。でも、人によるけどかなりの痛みと出血が伴う場合が多い。また、全て出し切れない場合はその後手術の可能性もある。
掻爬手術の場合、麻酔を使うので痛みは無いが読んで字の如く掻き出す手術なので、妊娠で柔らかくなった子宮を少なからず傷つけるらしい。手術内容は中絶手術と同じ。ただ、仕事をしている人なんかはいつ大量出血するかわからない自然流産よりは、手術を選ぶ人が多いみたいだ。
まあ他にも色々あるが、仕事のことは確かに気になった。
ちょうど2週間後にお店でイベントを予定していて、その日に穴をあけるわけにはいかなかった。
想くんの面倒をひとりでみている時にもし大量出血するのも怖いし、万が一イベント中に大量出血したらイベントを中止するわけにもいかないし・・・と、やっぱり手術しようと決めた。
なんだかずっと夢をみている感じで現実感はまるでなかった。
水子供養って6週とかでもできるんだろうか、なんて調べたりしていた。

紹介状を持って、近所の大きな病院にかかった。
問診、内診を経て、やはり稽留流産で週数は6、7週程度です。とのこと。
なんだか他にも色々話したのだが、その中でなにか質問は?と問われて、ネットで調べて気になっていたこと聞いた。
手術でかき出したもの(私の場合はまだ胎児ではなく胎嚢)は、引き取れるのかどうか。
答えはあっさり、ノーだった。
やっぱり。手術を決めてからそれだけが気がかりだった。ネットみる限りでも引き取りについて書いている人はほぼおらず、
私にとってはそこが一番重要だったのでなかなか心が晴れなかった。
そして先生が継いだ言葉に思わず絶句した。
「残念ですが、かき出す段階で粉々になってしまうし、出したものは医療ごみとして処分しなければいけないんです。」
その場はああそうですか、とだけ答えたけど、内心、駄目だ。ナシナシ。手術は止めよう。自然に出て来るのを待とう。
そして手術の予約をいつにしますかと問われて、2週間もあれば出てきてくれるだろうと安易に考えて、3/9にした。
粉々という言葉を聞いた時に自分のどこかが粉々になるような、顔面を殴られたような衝撃を感じた。
診察室を出てからわなわな震えが止まらなかった。
医療ごみ?ごみじゃねーよ。死んでてもただの空っぽの袋でも私の大事な子どもですから。
事実だけを書き連ねておこうとは思うけど、ここだけは、この点だけはどうしても捨てておけない。
22週未満の胎児は死亡届も必要ないし、火葬許可、というのも出ない。
もちろん、12週までの初期流産と22週未満までの後期流産とでは母体にかかる肉体的、精神的負担には大きな違いがあるのは理解出来る。でも、一度でも命が宿ったら、大事な子どもには変わりないのに、自分の子どもの姿も見られないまま『ごみ』として捨てられるのは耐えられなかった。死亡届や火葬までできなくても良いから、せめて引き取って、私たちなりに埋葬してあげたかった。
そうでなければどうやって前に進めばいいのか。みんなどうしてるんだろう。

その翌日、出血が始まった。
さあ、来たぞ、と陣痛が始まった時みたいに気を引き締めていた。いつでも出て来い、母ちゃんが受けとめてやるっ!と息巻いていた。
トイレだとそのまま流れて便器の奥に行ってしまうと手が届かないとネットで読んだので、
大量出血したら風呂場に行こうとか、とにかく夜用のナプキンを大量に買い込んで準備したりしていた。
が、だらだらした出血は一向に増える気配もなく、時間だけが過ぎて行った。

そのうちひいていた風邪をどんどんこじらせて、咳で夜も眠れなくなっていった。
あんまり体調が悪いと大量出血が始まった時にしんどくなるのではないかと思い、かかりつけの呼吸器科にかかったら、
急性気管支炎からの喘息発作と診断された。発作用の吸入薬を使うと幾分楽になった。
1週間経っても出血量は増えず、むしろ減ってきていた。少し不安な気持ちが増して来た。このままでは手術になってしまう。
出て来い、出て来い。このままだとごみとして捨てられちゃうよ。ちゃんと受けとめてあげるから、安心して出ておいで。
毎日おなかを撫でながら話しかけていた。
体調不良を理由に手術を延期しようかとまで考えた。しかも喘息持ちを理由に手術が局所麻酔になるかもしれないと、受診した時にちらりと言われたのも今更ながら不安でしかたなかった。意識がある状態で、自分の子どもがかき出される音を聞くなんて、とてもじゃないけど耐えられない。
なんとか理由をつけて延期できないか色々思案したが、手術の為に義両親にわざわざ来てもらったり、実両親にも色々手配したり、
もう既に私たちだけの問題ではなくなっていた。病院も含め各方面に迷惑がかかるだろうな。
諦めきれない気持ち、周囲への申し訳なさ、手術への不安・・・さんざん悩んでぐるぐる考えて、眠れない日が続いて、
ああもうこの子には会えない運命だったんだろうな、と。手術の日が迫るごとに諦め、というか悲しみ、というか・・・いろんな感情の入り混じった複雑な気持ちでただ、時間が過ぎて行くのを茫然と眺めていた。
稽留流産は自覚症状がない。体調も風邪でしんどいだけで、出血しても腹痛も腰痛も私の場合はそんなに無かった。
風邪さえひいていなければなんの問題もないので、いつまででもお腹の中に入れておきたい気持ちはやまやまなのだけど、
そんなわけにはいかないのだろうか?と真剣に考えてしまった。
自覚症状がない分、現実を受け入れるのが難しかった。
手術の前日になってもかかりつけの産婦人科医が「ドッキリでーす!」って出てきやしないかと思う程。
いや、出てきたら訴えるけど。
自分の体に起こっていることではないような、不思議な感じだった。

ついに手術前日には出血は殆ど止まってしまっていた。

JUGEMテーマ:子育て日記
10:59 子育て comments(1)
流産の記録2 告知
2月に入ってからどうも体調が優れなかった。そこはかとなくずっと吐き気がする。
消化不良か風邪か、と思って放っておいたら1週間続いたので、まあまさかね、と思いながら検査薬を使ってみたらまさかの陽性。
白状するとその時の第一声は「マジかよ〜」だった。
2人目はいつか欲しいとは思っていたのだけど、今の、想くんひとりでいっぱいいっぱいな生活。保育園に入れることすらままならない、仕事も未だままならない私たちが2人目なんて・・・高望みしちゃいかんな、と思っていたので。
さらに白状すると想くんはまだ授乳中で、私の生理もまだ再開してなかった。
つまり、ホルモン的にはまだ妊娠するべきじゃなかったんじゃないだろうか。手術後に医者にも言われました。
今思うと、なんて無責任なことをしたんだろうと、このことを一番残念に、後悔しています。
でもまあ、そんなネガティブな感情は束の間のこと。
帰宅した圭くんの嬉しそうな顔や、何も分からずに笑う想くんの顔を見ているとあっという間に気持ちは2児の母になって、
早速産婦人科に予約を入れ、いそいそノンカフェインを飲んでみたり、靴下を重ね履きしたり・・・。
やっぱり嬉しかった。

早速行った産婦人科では生理が再開していないので正確な週数は言えないけど、大きさからしておそらく5週くらい。
まだ心拍も確認できないので2週間後の再診でちゃんと成長が確認出来ればだいたいの出産予定日等がわかるでしょう、
そうでない場合は・・・まあ、よくあることですから。
と、後半のよくあること、のくだりは想くんの時も同じようなことを言われたけど、まあ、想くん大丈夫だったし、と、半分聞き流してました。
ひとまずは、おめでとうございます。
まだ春にはほど遠い2月半ば。なのに音が聞こえるほど春を感じた日でした。

それから数日経って、ひどい風邪をひいてしまいました。
風邪薬は飲めないからまあ、暖かくして大事にしていれば治るだろうと思っていたのだけど、
つわりで食欲もなく、まだ吐く程ではないけど水分もあまり摂れず、でも想くんの授乳もあるので
無理矢理なんとか少し食べ・・・そうこうしているうちにみるみる悪化。
かかりつけの産婦人科の再診を待たずに漢方だけもらいに行って様子を見ていました。
あんまりに具合が悪すぎて、いつのまにかつわりが消えたことにも気がつかず。

再診の日。
「見えませんねえ・・・」
いつもの明るい調子とは一変してだまりこんだ先生がそれはそれは色んな角度からエコーをあててしばらく格闘してくれたのだけど、だまりこんでしばらくしてエコーを外してしまった。
なんて言われたのか頭が真っ白で覚えてないけど、大きさが6週くらいで止まっていることや、何か色々説明された。
よく意味がわからなくて、しばらくして
「これって流産ってことですかね?」
と聞いたのだけど、その時の先生のリアクションも、よく覚えていない。
こうなった場合、2つ方法があって、自然に流れて出てくるのを待つか、手術でかき出すかのどちらか。
手術をする場合はうちでは設備が無いので、他の病院を紹介します。
どうするかはしばらく考えて、ご家族と相談して・・・云々。
その間、ずっと想くんがグズリマックスで勝手にエコーのプリントアウトボタンを押すわ、まとわりついて離れなくて、
今思うとショックに浸る余裕もなくて救われた気がする。

帰りの車を運転しながら、おんおん泣いた。
 
JUGEMテーマ:子育て日記
16:40 子育て comments(0)
流産の記録1 生きていた記録
春爛漫、には未だ遠い。
新門司港付近はまだ三部咲きでした。来週また行こう。



随分久しぶりの投稿で、こんな内容を書くのもいかがなものか、迷った挙げ句。
やっぱり書いた方が良いと思ったので。

2/23、稽留流産と診断され、先日手術を受けました。
数日間の安静期間を経て、体調はもうすっかり回復しました。
そして体調が回復するに従って、あんなに、何かをえぐられるように辛かった気持ちが、
少し落ち着いてきたことが、なんというか・・・衝撃でした。
もちろん徐々に落ち着いて行くことは望ましいことだし、現実を受け入れて、自分なりに昇華させて前に進むべきだとは思うのだけど、あまりにそのスピードが早くて、おののいた。
あまりに非現実的な数週間で、まるでなかったことになってしまうのではないか、と不安になりました。
それだけは絶対に嫌だ。

初期流産は6人に1人が経験する。原因は染色体異常であることが多い。母体に原因はなく、よくあることだと。
医者もみんな同じ説明をするし、周囲も気を遣ってくれる。
でも、よくあることだからといって、そんなに簡単に受け流せるはずもなく。
気を遣って前向きに振る舞っても、失ったものに代わりはなく。
もうこればかりは自分なりに、受けとめて、昇華させる過程が必要で。
人間は、忘れる。私は特に、すぐ忘れる。
こればかりは忘れるわけにはいかないので、書き留めておきたい。
たった7週間でも人の命が宿って、生きていたなら、その記録を残しておいてあげたい。
今の私にできることをせめてしてあげたいなと。

そして今回自分が実際に体験して初めて、流産について色んなことを知りました。

自然流産のこと、掻爬手術のこと、自分の身にふりかかって初めて調べて、知りました。
色んな専門サイト等で基本的な流れや知識はだいたいわかるのですが、
やっぱり人間の体に起こることなので、出産と同じで十人十色。人それぞれで違います。
そんな時に一番励まされ、役に立ったのは、同じ経験をした人のブログでした。
恩に報いる、というわけではないけど、今後同じ経験をする人がこのページにたどり着いて、
少しでも参考になればと思い、しばらく連続でこの記事を書こうと思います。

デリケートな内容でしばしば感情的になることもあるかもしれません。
読みたくない方はどうかスルーしてください。

JUGEMテーマ:日記・一般
16:24 子育て comments(0)
私の細胞
胸の奥でかたく絡まりあっていたかなしみが
草木の芽が息吹くように
蕾がひらくように
春のちからですっぽーんと
栓が抜けた

私たちはすぐにこの世から消えてしまうから
ひとつ吸うこの息も
細胞ごと喜びたい

あとに残るのは
ともに生きた記憶



はーるーがーきーたーぞーーーーーーー!!!!
17:06 子育て comments(0)
無垢


年の瀬ですね。
この1ヶ月半、新たにやってきた家族との新しい生活に振り回されていたことは想像に難くありません。
ええそれはもう、まんまと振り回され、心をかき乱され、各種のアメとムチの挙げ句、ぶん投げられていましたとも。
産後なかなかおっぱいが出ず。
たまにあたる助産師さんの母乳スパルタ発言に心をかき乱され。
ミルクを与えることに罪悪感を覚え。腹を空かして泣く息子を抱えて夜中にむせび泣いたり。
息子の体重はなかなか増えず毎週体重測定に呼ばれ。
東に根菜が良いという人があればごぼうの根を飲み。
西にたんぽぽが良いという人があればたんぽぽの根を煎じ。
おっぱいを飲ませては乳首にサランラップを貼付ける自分の姿に最終的に笑っちゃいました。
そんな1ヶ月。

そんな私を尻目に、想くんはごくマイペースに、呑気に、すくすく育っています。

最近笑うようになりました。
話しかける大人の笑顔を見て、その笑顔を真似して笑うことを覚える、と聞いたので、
日々笑いかけていたら、なんだかこっちまで笑顔が上手になるという。
なんだかどこぞの爽やかなCMみたいな話ですね。

 

風立ちぬを観に行った時からどうしても観に行きたかった、かぐや姫。
先日CMでかぐや姫が初めて歩いたときのシーンを見て、亡き地井さんの声を聞いただけで、
胸をワシづかみにされたのですが、こちらの動画も。予告編で号泣。

子どもの顔って、すごくシンプルに見える。
想くんや他の赤ちゃんを見てても思うのだけど、ごくシンプルな点や線で表現出来ちゃいそうに見える。
無駄な陰影や積み重なった感情がない感じ。あ、それを無垢っていうのかな。
もちろん陰影や積み重ねた表情がぐっとくる素敵な大人になりたいものですが、
無垢ってすごいなあと。
この動画のかぐや姫の子ども時代の表情もそうだなあ、としみじみ思いました。
今しかないその表情が、すごく刹那的で、切ない。
劇場には多分行けないだろうな。
できるだけ早く、できれば劇場で見たいなあ。

今しかない貴重な時期なのに、確定申告の準備に追われる年末。
そして年明けにはソファを縫う。
首も座らない子を抱えて、どうやって縫うか、思案中。


 
JUGEMテーマ:子育て日記
17:30 子育て comments(0)
なかむら産家医院
今回の出産を語る上で欠かせないのがなかむら産家医院

当初私は、自宅から近くて、検診からお産まで面倒をみてくれる病院、という条件だけで病院を探していました。
その中で口コミが著しく良いのが、なかむら産家(なかむらさんち、と皆さん呼んでます。)でした。
他の病院と比較してもどうにも桁違いの口コミだったので、ならば、と思い、訪れてみました。

その日に助産師さんに病院案内をしていただき、天井から白い紐がぶら下がる畳の部屋を披露され、
「うちはフリースタイルですから。」
とさらっと言われて度肝を抜かれました。



時代劇でもなかなか見ないこの白い紐・・・フリーすぎるやろ!
と思わずツっ込みそうになりましたが、初対面なのでぐっと我慢して色々聞いてみると、
分娩台を使わずに、赤ちゃんが呼び起こす自然な陣痛の波に乗って、自分の一番楽な姿勢で出産するのだと。
・・・こちとら初産なので、分娩台の辛さも、どの姿勢が一番楽なのかもわからないので、
とにかく安全に、無事に生まれてくれれば良いのですが・・・と、始めは思っていたものでした。

院長先生もいつも作務衣を着ていて、病院らしくない印象。
当時アメリカ旅行の予定が入っていたり、2ヶ月間東京に滞在して舞台出演の予定が入っていたりして、
「だ、大丈夫なんでしょうか?」と詰め寄る圭くんに
「大丈夫ですよ〜。テニスの試合に出る人とか、もっと週数行ってから旅に出る人もいますよ〜。」
とおっとり返したり。のらりくらり冗談ばかり言っている印象の、優しい先生。
体重管理だの、あれしちゃダメこれしちゃダメ的なことは殆ど言われない、ざーっくりした検診の日々は、
私にとって心安らかな日々でした。つわりだの腰痛だの耳が聞こえないだの、トラブルは比較的多い方だった
とは思うのですが、もちろん対処は的確なものでした。

あと、助産師さんがとにかく多い、そして優秀。
他の病院を知らないので比較のしようがないですが、検診の時やお産の時に担当してくださった助産師さんはじめ、
入院中もとにかく看護が手厚い。陣痛中もずっと付きっきりでマッサージをしてくれて、
異変がないか見守り続けてくれたことは本当に心強かったです。
あと、妊婦の味方、トコちゃんベルトも取り扱ってるので試着ができたりします。

出産後は生まれた瞬間から母子同室なので、お産時間が長かった私は一週間ほとんど眠れず、
正直ちょっとしんどかったですが、サポートはかなりしっかりしてくれます。

そして



「まごわやさしい」ほとんどベジな食事がとにかくウマい。
素材がなんだかわからないくらい、味が複雑で、ヘルシー。和食の底力を感じます。



どうやら、医者がいる診療所という規模で、フリースタイル出産ができるのは福岡県内ではここだけらしく、
県内外からお産を希望して来られる方がいらっしゃるみたいです。(助産院はあるらしいです。)
口コミや病院に置いてある過去の産婦さんからのメッセージを見ると、あまりに良いことばかりが書いてあって、
「ホントかよ〜」と思っていましたが、本当に良いお産をさせていただきました。
そして異口同音、みんなが言うのと同じことを言っちゃいますが、
2人目ができたらまたここで産みたいです。
北九州で出産される方には心からお勧めしたい病院です。


JUGEMテーマ:子育て日記
19:16 子育て comments(0)
奇跡の日
ご報告です。
一生忘れられない、大切な日がまたひとつ増えたことを心から嬉しく思います。
自分の忘備の為の記録でもあるので、ちょっと長文ですが。

11月6日午前3時45分、無事に長男を出産することができました。
33時間の難産でしたが、母子ともに健康で、現在は私の実家で養生しています。



出産予定日10日前に、もういつ生まれてもおかしくないから最後に、と撮った写真。
でも、予定日を大幅に過ぎても、出てくる気配はありませんでした。
42週を超える前に薬を使ってでも出産しなければならず。
ただ、その薬が喘息患者には使いづらいとのことで、先生もぎりぎりまで様子を見て、
なるべく自然な陣痛での出産を待ってくれました。
ちなみに。私がかかっていた病院は自然なお産ができる産院としてとても評判の病院で。
私はたまたま近所だし、くらいの気持ちで通い始めたのですが、本当に良い病院でした。
2人目をもし授かることができたら絶対またここで生みたいと思うような、素晴らしい体験でした。
この病院のことはまた後日、ご紹介します。

「なんで出て来ないんだろうね〜。
まあ42週までは時間がありますから。あかちゃんがなんだか出て来られない事情があるんでしょうね〜。」
いつも呑気に冗談を言って和ませてくれる先生の表情がなんとなく気になる感じで、
初産の私は正直、ちょっと不安を感じながらも、兆候が現れるのを待ち続けました。

結局、当初薬を使う為に入院する予定だった4日の朝から不規則な陣痛が始まり、
一日苦しんだその日の夜、ようやく規則的な陣痛に変わりました。
日付変わって5日深夜の3時に、5分間隔になったので、圭くんに病院へ連れて行ってもらってそのままお産の部屋へ。
分娩台はなく、畳の部屋で、冗談じゃなく、時代劇みたいに天井から白い太い紐が下がっているような、お産の部屋。
薄暗い灯りの中で、助産師さんが陣痛の度に腰をマッサージしてくれました。
でも、ここからが、長い戦いの始まりでした。
5分間隔の陣痛はきっと4分、3分と短くなって行き、遅くても5日の日中には生まれるだろう、
と勝手に思っていたのだけど、なかなか陣痛は強くもならず、間隔も短くはならず。
むしろ夜明けとともに不規則になってきました。強さも、強くなったかと思えば、弱くなったり。
私と圭くんの体力も、どんどん消耗していった、苦しい一日でした。

助産師さんのシフトも変わって、3人目の助産師さんが来てしばらく経った5日の夜。
「子宮口!開いてるね!どう見たって全開だよー!今日中に生まれるかねえー。」
ようやくなんだか明るい兆しが見えた気がして、さあここからもうひとがんばり、と思っていたら。
そこからもまた長かった。
陣痛の強さも間隔も変わらず。もうそこまで頭が見えているのに全く進まない。
いきむ度に助産師さんがであかちゃんの心音を探して、モニターで聞かせてくれて
「大丈夫、大丈夫、あかちゃん元気だよ〜」と教えてくれるその声が必死で。
もう何回圭くんの手を握りしめながら、その心配そうな目をのぞき込んだんだろう、
とか考え始めると朦朧として、陣痛の合間に気を失うようにして眠ってしまったり。

そんな状態が数時間続いて、6日の午前3時を過ぎた頃、突然先生が登場。
その時の表情は数時間前までの柔和な笑顔ではなくて、厳しい表情で、白いゴム手袋なんかつけて、
モニターを見て、何かをごにょごにょ助産師さんと話して・・・な、何が始まるんだ?
これまで畳の上の布団で横を向いて分娩していたのに、突然仰向けになれと。
自分の足を自分で押さえろと。
何がなんだかわからず、助産師さんもこれまでと雰囲気が一変して、
いつの間にか助産師長まで登場して・・・
その後のことはこれまでの長い苦しみを思うとほんの一瞬、15分くらいの出来事だったけど、
正直、怖かった。パニックになった。
ただひとつはっきり覚えているのは、パニックになった私が叫んだ「早く出して!」
それに対して先生がバシッと一言。
「自分で出す!」と。
いつもへらへら冗談を言っていた先生とは別人の、医者がそこに居たことにびっくりした(失礼)。
赤ちゃんが出たい、生きたい、と言っている陣痛というサインを受けて、
私ががんばらないと、前にも後にも進まない。パニくってる場合ではないんだった。
と、至極当然なことに気づいて、すごく冷静になれた。
ここにいる医者と助産師さんたちと、圭くんと、一緒に生もうと。

「3時45分。」
助産師さんが時間を告げてくれた時にはまだ泣き声が聞こえなくて、
何かの機械で鼻や口の中を吸い出してしばらくして、遠くで鳴く子猫みたいな弱々しい、
でも、この世で一番美しい音で泣いてくれたその瞬間のことは、本当に、本当に、忘れ難い。



後々担当してくれた助産師さんから聞いた話では、子宮口が開いているのになかなか陣痛が強くならなかった段階で
羊水がだいぶ濁り始めていて、先生も度々様子は伺っていたと。
取り上げた時には羊水の色は緑色にまで変色してたけど、赤ちゃんの口の中含めて体中に付着した
胎便などはすべて取り除いて、感染症などの恐れもないし、臍帯の血液の検査をしても特に問題はなかった、と。
今となってはなぜなかなか陣痛が強くなって行けなかったのか確かめる術はないけど、
へその緒を何らかの形で圧迫していたか、ひっかかっていたか。。。
いずれにしろ促進剤をつかっていたら赤ちゃんが苦しがっていたのではないか、とのこと。
そう考えると吸引もせず、数カ所会陰切開しただけで無事に生まれてくれて、本当に良かった。
最後はちょっと怖かったけど、信頼出来る病院で、手厚く面倒をみてもらえて、本当に良かった。
33時間も片時も側を離れず、ずっと一緒にいてくれるような人と結婚出来て、本当に良かった。
そして人生初の、息子の一大イベントを家族3人で乗り越えることが出来て、本当に良かった。



ずっと舞台に関わってきて、圭くんと501FURNITUREを始めて、
想像することや、人のことを想う気持ちが世界を突き動かしているなあ、と常々思ってきました。
そんな発想から、息子の名前を「想(そう)」と名付けました。
想像力豊かな、想いやりのある人になってくれれば。あと、とにかく健康でいてくれれば、他に何もいらない。

ちなみに、義父から言われてハッと気づきましたが。
想くんの漢字をよく見てみると「木目」の「心」・・・家具職人の息子にぴったりの名前でした。
たまたま、偶然なのが私たちらしいところですが・・・良い名前だなあ、なんて。

 
JUGEMテーマ:子育て日記
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